2019-03-12 第198回国会 衆議院 財務金融委員会 第7号
その市長から提出された資料をちょっと、出てきたので、きょう、ぺらぺら見ていてびっくりしたのは、税理士の方からそれは提出されているんですけれども、タイトルは、竹山修身氏の政治団体における会計処理に関する調査報告書というものです。 税理士の方なのに、絶対的な正確性が担保されるものじゃないとか、あと、りそな銀行の通帳の残高証明がついているんですけれども、それが間違っているんだと。
その市長から提出された資料をちょっと、出てきたので、きょう、ぺらぺら見ていてびっくりしたのは、税理士の方からそれは提出されているんですけれども、タイトルは、竹山修身氏の政治団体における会計処理に関する調査報告書というものです。 税理士の方なのに、絶対的な正確性が担保されるものじゃないとか、あと、りそな銀行の通帳の残高証明がついているんですけれども、それが間違っているんだと。
私の好きな言葉に、修身斉家治国平天下という、こういう言葉がありますけれども、この言葉の持つ意味は、まず自分の身を修める、そしてしっかりと自分の家庭を収め、そしてその次はいわゆる地域というものを見詰め、そして祖国を愛し、そして世界平和を願うという、まさにこのことが私は基本だろうというふうに思います。
ちょっと言い忘れましたけれども、戦前、修身という授業があって、戦という言葉を使うのが正しくないかもしれないんですが、戦争にかかわるような修身の教材の内容というのは決して好ましくないというふうに思いますけれども、一方で、礼儀作法であったり挨拶であったりというのが、実は、SNSというか、コンピューター、IoT社会の中で、人と人とが接するというのは極めて大事ですし、朝の挨拶であったりおはようございますであったりというのは
戦前の教育では、この教育勅語を修身処世の大もととし、その奉読などが強制され、天皇のために命を投げ出すという思想がたたき込まれました。こうして、教育勅語は侵略戦争推進のてことされたのです。
こんな大変生意気なことは申し上げたくないんですけれども、修身斉家治国平天下といいますけれども、例えば、今回、御自身の、長坂先生の事務所のガバナンスの強化ということに御専念されて、一旦政務官をお退きになるというようなこともお考えになられませんか。
国民思想を涵養し、伝統精神を全国の子弟に知らしめるには教育勅語がある、教育勅語により、修身処世の大本を指示し、健全なる国民思想を涵養せしめよ、文部省ではなく、内務省をもってこれに当たらせよというふうに主張しているんですね。
局長 安田 充君 総務省自治税務 局長 青木 信之君 総務省統計局長 會田 雅人君 消防庁長官 佐々木敦朗君 財務大臣官房審 議官 矢野 康治君 財務大臣官房審 議官 井上 裕之君 国税庁徴収部長 大久保修身君
シビリアンコントロールということを考えた場合に、これは、神保参考人は慶應義塾で学ばれて、今、慶應義塾で教鞭を執っていらっしゃるわけですが、私も実は慶應義塾でずっと学んでおりまして、福沢諭吉先生、慶應義塾の「修身要領」というのがございますけれども、独立自尊で有名なものですが、この第二十二条に、「国あれば必ず政府あり。
文部科学省といたしまして、こういった教育基本法の理念や子供たちを取り巻く社会の変化等を踏まえて、例えば道徳教育の抜本的改善充実など、引き続き教育再生に全力で取り組んでいきたいというふうに思っておりますし、もちろん、先ほど委員おっしゃられました戦前の教育の修身においても、さまざまないい例もございますので、そういったところもしっかり文部科学省としても検討しながら、教育再生に取り組んでいきたいというふうに
戦前は、自己を修めていくための修身という学科が最も重視されておりましたけれども、戦後は学科の中から真っ先に修身が廃止されました。つまり、自己を修める学問がなくなってしまったということであります。
さかのぼりますと、戦後、教育勅語に基づく戦前の修身教育が否定をされ、昭和二十二年、教育基本法で社会科が新設をされました。その後、昭和三十三年、子供たちの道徳的価値観を育むため、道徳の時間が新設をされました。約十年ごとの学習指導要領の改訂により、その時々の子供たちの実態に合わせて、時代に合わせて改良が進められてきたわけであります。
この歴史的経緯というのは、これは戦前の修身、この修身の徳目についても、基本的には今の時代に合うものがほとんどだと思いますが、しかし、全てではなくて一部、これは戦前の徳目であるけれども今の徳目に合わないという部分があります。
これも現場経験からですけれども、むしろ国語、算数、理科、社会のように、何らかの知識のテストをしたりして、そしてここまでは到達したからといって数値で評価をするというのは、これはもうはっきりとした根拠が子供にも分かるし、保護者にも分かるからいいんですけれども、文章表現でやる評価というのは、本当に教師自身の受け止め方とかになるわけですから、さっき山中恒さんのことを紹介しましたけれども、この成績、修身の評価
それで、限られた時間ですけれども、先ほど大臣もちょっとおっしゃいましたが、戦前は修身として登場したこの教科は、改正教育令で最も重要な首位教科と位置付けられて、国語、算数、体操みたいなのの三科目ぐらいしかない中の一番上に修身というのがあって、首位教科なんですね。重視されて、先ほどおっしゃったように、明治天皇の名で出された教育勅語をその修身の時間に暗記をさせて仁義忠孝の心を植え付ける。
これは、戦前の、国家に奉仕する人間づくりのための国定教科書や修身科の復活につながるのではないかと私は危惧しております。安倍総理の御認識を伺います。 昨年の十二月、中央教育審議会は、今後の地方教育行政の在り方についての答申を行い、教育委員会制度について、首長と教育長の権限を強化するとしています。
また、道徳については、公共の精神や豊かな人間性を培うため特別の教科として位置付け、教育の目標、内容の見直しや教員養成の充実などを図ることにより今後の時代に求められる道徳教育の実現を目指すものであり、戦前の修身科の復活につながるものではありません。 教育委員会制度の見直しについてお尋ねがありました。
ちょっと古い言葉でございますが、修身斉家治国平天下って、これ何千年か前の中国の古典の言葉でございますが、身を修め家を整える、つまり、自分個人が充実し家庭生活が充実していくことが国を治めたり天下を平らかにするということにつながっていくというのは、今でいえば、今ワーク・ライフ・バランスというハイカラな言葉でおっしゃいましたけれども、そういうことにつながっていくんではないかと思っております。
私は、常日ごろ、道徳は教科化するべきだということで訴えておりますけれども、多分、戦前の修身をもとにして、戦後も道徳を教科化するべきではないかという議論は、今まで、多々、いろいろなところでされてきたというふうには思います。 しかし、現場にいる、中学生を担任していた私としては、道徳教育というのは、現場の先生にとっては一番逃げたい授業なんです。
戦後、GHQから修身をやめよと指導されたことも大きいと考えられますが、こうした当たり前のことが当たり前にできないような状態に至っては、平成の教育勅語というべきものも明らかにし、学校における道徳教育を充実させ、子供たちのモラルとルールを守る態度をしっかりと身につけることが急務である、こう考えております。
あと、先ほど道徳教育についてお話をされたんですが、では、なぜ明治時代に教育勅語を出して、そして修身教育を行ったかといえば、これは、伊藤博文がヨーロッパを回ってくる、その中において、教会の役割が極めて大きいということに気がつくんですね。それは子供たちに、神様が見ている、神と自分の関係において罪を犯してはならない、こういうことだったわけでございます。
○政府参考人(布村幸彦君) 道徳教育につきまして、先生御指摘のとおり、戦後、GHQの占領下の下では修身が廃止をされ、その後、特設の道徳の時間、あるいは現在のような道徳の時間という形で実施されてきておりますけれども、教科という位置付けはこれまでされていないということになります。
○上野通子君 日本の教育の長い歴史の中で、特に明治時代から教科というものが定義が何度かなされてきていますが、最初の尋常小学校時代、一八八一年の小学校令の中で、教科とは、修身、読書、作文、習字、算術、体操などが基本的にあったそうです。
義家政務官にお聞きしたいんですが、戦前は修身という教科があって、それは優良可でちゃんと評価もなされていました。道徳の教育についての評価というのは本当になされない、できないことなんでしょうか。
大学にある修身斉家治国平天下、身を修めて家をととのえ、もって国を治むれば天下は平らかである、この言葉を九歳の少年が堂々と述べたというので、皆びっくりしたそうであります。 彼は、京都や江戸へ出て学問にいそしみ、武士に取り立てられるまでに至りました。江戸では佐藤一斎の塾に入り、佐久間象山と二傑と称され、彼が塾頭になったわけであります。
それで、またお話の中で、特別活動あるいはほかの科目の中での授業の織り込みというようなこともありましたので、あえて申し上げますと、私は、戦前の修身教育といったものがありましたけれども、軍国主義的な意味は全く否定したいと思いますが、そういった意味ではなくて、礼儀作法であるとか、長幼の序だとか、挨拶だとか、そういったことの大切さを進める意味でも道徳的な時間をふやしていただくということで、これは国語になるのか
かつて、明治二十七年でございますが、日清戦争、死んでも口からラッパは離しませんでしたという、尋常小学校の修身の本に載っておったお話をお聞きしたことがございますけれども、そうした日本人魂というのを語り継いでもいいんじゃないか、こう今回の災害、津波で心をいたしているところでございます。